京都、暑い夏と独り旅

2005 Mon Aug 22 その七 軽薄さの極みの神社と舞台の下

 清水の舞台に立った。立った。景色を眺めた。予想通り。
 はしゃいで写メールをバシャバシャ撮っている人々の間を素通りする。私の目指す場所はここではないのだ。
 舞台を降りると、そこにも入り口らしき門が。
 実は、こちら側からの清水本堂への舞台入り口。つまり大回りさえすれば、三百円支払わずに地主神社へ行くことが出来たということ。
 おそるべし。おそるべし、順路。坂道で疲れさせて頭の回転が鈍っている所へ料金所。何も考えずに払っちゃうなぁ。
 このまま、地主神社に行くのも癪に障るので、人々の流れに沿って、そのまま奥の院へ。奥の院に立って眺めて笑う。
 ベストポジションである。清水の舞台を写真に撮るのにベストポジションだ。確かにパンフレットもこの位置からの構図で撮ってる。携帯電話にカメラ機能もついてない私には関係のない話だし、誰も本尊の千手観音、観てないや。
 すぐさま去り、地主神社へ坂を登る。

 なんじゃ、こりゃ。
 まるで原宿。まるで渋谷。若い女の子が溢れんばかりにワイワイ騒いでる。何が目当てって、皆『恋占いの石』目当て。
 何が、どうして、こうなんだ。決して広くない境内は、若い女の子ばかり。私のような男性が独り来るようなところじゃないとばかりの軽薄さ。パンフレットもマスコットキャラを出して、恋結び、恋占い、恋愛成就。
 大国主が大黒様になって、こんな商売っ気のある神様になってしまった。
 一つ語りたい。「縁結び」とは、そもそも何もない所から縁を持ち出して結ぶのではなくて、元々ある縁を切って、改めて新しい縁を結ぶということなんだ。つまり、言い換えれば「縁切り」なんだよ。地主神社も、昔は周りの木々に五寸釘が刺さった藁人形があったはずなんだ。それが、こんな軽薄な神社になっていただなんて。
 私は、少し悔しくて、神社の寂れた奥の林に向かった。当然、参拝客は一人もいない。腐りかけた橋、いわくありげな碑もあったが、何がなんだか分からない。おそらく金になりそうもないことには金は使えないということなんだろう。
 しかたなく退散。清水寺を降りる。音羽の滝は混んでたのでパス。おそらく小学生の頃やっていたはずだし、ちゃんともう既に健康で明晰で長寿になっているはず。
 それよりもアテルイとモレの碑の方が気になった。征夷大将軍・坂上田村麻呂のライバルですよ。なにより考えされられたのが、碑が出来たのが平成になってからということ。それまで誰も作らなかった、もしくは作らせなかったということですよ。
 清水の舞台の下を通って降る。林の通り沿いにポツポツと地蔵がたっている。二人地蔵やら、涎掛けをつけた地蔵やら。結構な数。
 そうそう、江戸時代には清水の舞台を飛び降りる人が多発したそうで、なんでも無事に着地したら願いが叶うとかなんとか。よく駆け落ちの人が飛び降りたんじゃないかな。もしも無事に済んだら「それほど真剣だったら」と周りの親族も許してくれることがあったのかも知れないね。想像だけど。それに、亡くなった人の方が限りなく多そうだ。
 林の通り道は、風がなくても涼しかった。

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