京都、暑い夏と独り旅
2005 Mon Aug 22 その八 違う橋の像ともう一つの天満宮
急な階段と急な坂、疲れ果てた足に過酷な負担をかけ心を挫く。帰ろう。晩夏の日は未だ高かったが茶わん坂を心持ち急ぎ足で過ぎた。
味気のない大通りの五条通を西に向かう。ひたすら西に向かう。
自転車を乗った欧米系の外国人親子に自転車で追い抜かれる。サドルの下にナンバープレートのようなモノがぶら下がっていた。おそらくレンタサイクルだろう。楽そうで良いな。そう思った。
なにもない道をただ、てくてく歩く。それがこんなに苦痛だとは思わなかった。
やがて鴨川にたどり着く。もちろん橋は五条大橋だ。いわずもがな、あの銅像が立っている橋だ。小学生の頃見たから、二度目だなと思いながら中央分離帯を気にしながら橋を歩く。
銅像がない。
そもそも場所が違うから、取りやめたのかな、良かった良かった。と思っていたが、川を渡り終えた所に立っていた。どう贔屓目で見ても、欄干をひらりひらりと飛び移ったとは思えない小太りの牛若と、どう見ても刀狩千本達成間近の強さを誇っていたとは思えない下っ腹の弁慶がそこに居た。
まぁ、いいや。
横目で素通り。京都駅を目指すならばそろそろ南下すべきである。そう思い、川原町通を南下。
ただただ京都駅を目指していたが、チラッと『神社』の文字が書かれた看板を見つけた。
『市比賣神社』と書かれていた。『いちひめ』と読む。『女人厄除け』との謳い文句も書いてあった。果たして男性独りで行って良いのか悪いのか。厄払いの参拝客に白い目で見られるのはイヤだし、疲れているし。そんなに悩まずに諦める。
道は相変わらず、普通の幹線道路。見るべきものがないからか、色々なことを考える。
『いちひめじんじゃ』があるならば、『にたろうじんじゃ』があってもおかしくないんじゃないのか?
そんな持論を弄んでいると、今度は『文子天満宮』の看板が。
京都駅の近くに来ていたのは分かっていたので、少し心が動いた。ここで力が尽きたとしても京都駅に辿り着けないということはないだろうと思い、看板の矢印の方へ路地に入り進む。
北野天満宮の前身とある。別に変わったところは、なし。少しウロチョロするだけで、すぐに退散。
そのまま東本願寺を道路越しに眺め、京都駅へ。
四時間以上、ほぼ歩きっぱなし。休憩は清水寺のベンチでの十分間だけ。
もしも、また京都を旅する時は、手荷物なしでスニーカーを履いてレンタサイクルするべきだと心に刻んだ。
end
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