創作小説
亡者と生者の円舞曲
1.彼は亡くなった 前編
ゴールデンウィークが終わった週明けの月曜、教室に入ると普段と違った室内の雰囲気の異様さに気付いた。どうやら与えられた多くの宿題を忘れただけとは思えない重苦しい空気。教室の隅々では女性徒達が肩を寄せ合って泣いている。男子生徒らは神妙な顔をして、ぼそぼそと暗い顔をして話し合っているか、もしくは一人、席でうつむいていた。
窓際の自分の席まで辿り着いて、鞄から教科書を机の中に移していると隣の席の斉藤から声をかけられた。
「工藤が連休中に交通事故で亡くなったって。宿題全部やってきた?」
斉藤にとって、突然の同級生の死と連休中の宿題の達成状況は同列に並ぶようだ。
「やってきたよ。だから皆、泣いているのか。……悲しいな」
「悲しい? どうかな、同級生を亡くして悲しいのと、同級生を亡くした自分に酔って泣いているんじゃ、全然違うからな」
その言葉が聞こえたのかどうか、近くで泣いていた女子生徒が斉藤を一瞬睨み付けたが、再び目を逸らし泣き続けた。斉藤は、素直で正直だ。しかし、そのことが美点にならない奇特な人物でもあった。そして、そんな斉藤と親しく話している俺も、その同類項と思われているのは違いないのだ。
「俺、無理だった」
「覚悟決めたか」
「腹くくったよ」
「お前だけじゃないさ」
「誰がいる?
「亡くなった奴は無理だな」
「あとは、それにショックを受けている奴も」
「お前か」
「そうさ」
「嘘つけ」
「そうすれば、罰則、まぬがれそうじゃん」
「不謹慎だ」
「俺の辞書には載ってないな」
「謹慎は載ってるだろう」
「虫眼鏡を使えば読める程度の大きさでな」
「特殊だな」
「そうさ、一番大きく載っている文字は、進学と親孝行の、二つさ」
「違いない」
周りの白い視線に晒されるのが嫌になったので、斉藤との会話を打ち切った。またクラスメイトの俺に対する評価が下がったのを肌で感じた。一ヶ月あまりで既に独走状態の斉藤と比べる気にもならない。
工藤が亡くなった、か。無意識のうちに工藤の席に視線が動いていた。花の置かれた机には誰も近づこうとしない。そこだけ空気が止まっているようだ。
一ヶ月。たった一ヶ月だけのクラスメイト。まだ打ち解けた仲にはなっていなかったので、個人的な会話をしたのは一度だけ。それでも俺にとって工藤は他のクラスメイトとは違った特別な存在だった。過去の俺を知っていたという点で。
担任は、いつもと同じ口調で淡々と事実だけを述べていった。交通事故で工藤が亡くなったこと。夕闇のなか、工藤が車道に飛び出し、自動車は急ブレーキをかけたが、間に合わなかったこと。お通夜は今夜あること。できるだけ出席すること。宿題はクラス分まとめて昼休みに職員室に提出すること。宿題を忘れた者は放課後、武道場に集まること。歩きながら勉強しないこと。伝えることを伝えるとしっかりとした足取りで教室を出て行った。
今日一日は、普段どおり授業は進まなかった。授業中に突然、女子生徒が泣き出したり。回答を指名された生徒が何も答えられなかったり。誰も授業に心から取り組んでいなかった。
「俺の分も工藤に拝んどいてくれ。『今まで、ごくろうさん』ってね」
放課後、斉藤は俺にそう言うと、教室を出た。宿題を忘れたのでおそらく武道場に向かったのだろう。今のセリフをそのまま受け取ると、どうやら弔問には行かないらしい。武道場での指導は、別名『武道場ライブ』とも呼ばれ、生徒たちから忌み嫌われている。正座して、立ち会う全ての教師たちから延々と三時間以上も説教を喰らい続けるのだ。日が暮れても帰らされず、実質的な監禁だ。学外から進学校と呼ばれている我々が通う南里高校の正体だった。
学級委員が、工藤の家が分からない人は校門前に五時頃に集合すること、そうクラスの皆に告げていた。多くの遠方から通学する学生たちは帰宅せずに、そのまま弔問するようだ。俺もその集団に紛れる事に決めた。一人だけ、夜遅く弔問して目立つことはない。俺は五時まで時間を潰すために図書館で何を読むか、少し考えた。
*
クラスメイトの静かな波に連れられて、閑静な住宅街に入り込んだ。顔を上げると一軒だけ黒服の人たちの往来が激しい家があった。あれが工藤の家だろう。
そこでクラスメイトの一人が、あっと声を上げた。
「香典、……っているのかな」
ピタリと周りの足取りが止まった。
「こんなに大勢で行って、手ぶらじゃ失礼だよね」と女子。
「香典つつむ袋って誰か持ってるの?」と男子。
「コンビニで売ってるんじゃない? 見たことあるような気がするけど」と女子。
「じゃ、俺、買ってくるわ。それまでに皆でお金集めといて」と一人の男子が踵を返して走り出した。
「一人、千円で良いよね?」と女子の一人。周りが軽くうなづいた。
各々、財布から千円ずつを取り出し、女子の一人が、回収にまわる。
「斉藤の分と合わせて、二千円だ」
女子はお金を受け取ろうとしていたが、そのセリフを受け、ハッと顔を上げて俺の顔を睨み付けてきた。何処かで見たことのある顔だと思ったら、朝、斉藤を睨んでいた女子だった。手元の二千円を奪い取るように引ったくり顔を背けて次の生徒に向かった。
そのうちコンビニに向かっていた男子も無事、「御香典」と書かれた袋を買ってきていた。遠くから工藤家を眺めると、仏式のようなので問題はなさそうだ。
香典を包み、ようやく工藤家の門をくぐった。
代表の女子生徒が受付に香典を渡すと、一人一人並んで記帳した。そのまま列の流れるままに斎場となっている工藤家に上がった。焼香の順番待ちをしている間、工藤の家族を見た。焼香を続けるクラスメイトに向かって深々と繰り返し頭を下げる工藤の両親。その隣には、制服を着た女の子が二人並んで座っていた。一人が焦点の合っていない目で膝のあたりに視線を彷徨わせていた。もう一人がその娘を励ますように、彼女の手を強く握っていた。工藤の妹たちだろうか。見続けていた所為か、励ましている方の娘と目が合った。すぐに俺は視線を外したが、娘は目を細めてずーっとこちらを見ているようだった。どこか俺に不自然な点があっただろうか。
「あの制服。黒川女子だぜ」
後ろで並んでいるクラスメイトの男子が、他のクラスメイトに囁いていた。お嬢様が多く通う高校として有名な学校だ。
ようやく焼香の順番がまわってきた。工藤の家族にお辞儀をし、工藤が眠っている棺おけに向かって手を合わせる。前の生徒の焼香を真似て、なんとか無難に成し遂げ、工藤の家を出た。
家を出てすぐ、クラスの女子に責め立てられた。制服の胸元をつかまれたまま、泣かれた。香典を集めていた女子だった。
「工藤君が亡くなったこと、なんとも思ってないのに。斉藤君と一緒に笑ってたじゃない。それなのに、ここまで来て失礼じゃない。謝ってよ、工藤君に謝ってよ」
「そんなことはない。僕だって悲しい。だから来てるんだ」
「嘘よ、嘘。なんで工藤君が死んで、斉藤君やあなたなんかが平気で生きてるのよ」
あの娘、工藤君のこと好きだったから。そんな囁き声が背中から聞こえてきた。しかし、そんなことを知らされても俺にはどうしようもなす術がなかった。
その時だった。門の方から俺の名前が呼ばれた。声をした方に目を向けると、喪主の席で頭を下げ続けていた男性が立っていた。工藤の父親だった。
「家内が呼んでいるんだ。よければ、来てくれないか」
俺は、軽く頷くと呆然としているクラスの女子の手を制服から引き剥がし、再び門をくぐり工藤家に上がった。廊下には工藤の母親が疲れた笑みを浮かべて佇んでいた。
「あなたが、博之のヒーローだったんですか?」
「もう止めたんだ。つまらなくなったから。幻滅しただろ?」
工藤は、それでも笑って首を横に振った。
「いや、それでも君は、俺のヒーローだったよ」
「彼……工藤君は、そう思っていたようです。俺なんかのどこが、ヒーローだったんでしょう?」
「博之がサッカーを始めたのは高校に入ってからなの。中学の時、あなたの活躍を見てサッカー部に入ることを決めたらしいの。それまで一切、運動部に興味を示さなかった博之がサッカー部に入って、そしてキャプテンを任されるほどまでに上手くなったのよ。あなたの影響で」
「それはただ単に、工藤君が努力して頑張ったおかげですよ。僕とは関係ない」
「そんなこといわないで。素直に嬉しいの。短いあの子の人生だったけど、真剣に打ち込めるものがあって良かったって思ってるの。あなたには感謝してもしきれないわ」
工藤の母親の表情は悲しみに満ちていたが、決してセリフに偽りは含まれてなさそうだった。俺は直視できなくなって視線を逸らした。そして、いつのまにか工藤の母親の後ろに制服の女の子が立っていたのに気付いた。サッカーボールを抱えていた。
「博之さんの部屋から持って来たよ。これで良いんでしょ」
「ありがとう、多佳子ちゃん。あとはもういいから、真由子の側にいてあげて」
女の子は、はいと返事すると玄関横の階段を上っていった。
「形見に貰ってあげて。あの子も喜ぶと思うから」
目の前に差し出されたボールを、俺は受け取らざるを得なかった。息子を亡くした母のささやかな願いを断ることが出来るほど、俺は自分に正直にはなれなかった。
俺がサッカーボールを胸元に抱えると、工藤の母は疲れきった様子で口を開いた。
「……本当は、あの子のクラスの皆に、あの子の姿を見て欲しいのだけれども。……顔が、……顔が、……」
もう、やめておけ。そう背中から声が掛かると、工藤の父親が嗚咽し続ける彼女に駆け寄った。
工藤の両親に一礼をして、辞去しようとする俺に再び、工藤の父親から声が掛かった。
「二階の博之の部屋を開放するから、まだ残っているあの子の同級生たちに声を掛けてくれないか。あの子も喜ぶと思うから」
「わかりました、そう伝えておきます」
工藤家を門を出て近くにいたクラスメイトの男子にその事を告げると、彼は俺の胸元にあるサッカーボールに目をやった。軽く頷くと 改めて彼が周りのクラスメイトに伝えてくれた。
ぞろぞろと再び工藤家の門を入るクラスメイト達をしばらく眺めると、俺は背を向けた。もう帰るつもりだ。
とっくに日は暮れていた。時間が知りたかったので、ポケットに手を突っ込んだ。携帯電話はなかった。そういえば、学生鞄の中だ。荷物になるからと、学校に置いてきていたのだ。学校までもう一度戻らなければならない。少し億劫だった。
駅に向かう為、サッカーボールを左手に抱えて足を進めた。なんとなく工藤家を振り返り二階を見上げた。どこの窓が工藤の部屋の窓か分からないが、なんとなく一番手前の窓を見つめた。カーテンが揺れていた。先ほどの女の子が窓辺に立っていたような気がした。
*
教室に戻ると、斉藤が残っていた。どうやら指導が終わったばかりらしい。
「お、早いじゃん。なに、そのサッカーボール。形見? おまえ、工藤と仲良かったっけ?」
斉藤は決して、頭の回転が遅いわけではない。勘も鈍くはない。ただ、相手を思いやる気持ちを知らないだけである。
「まだ、いや……もう仲良くなれないなぁ」
机に置かれた鞄を持ち上げながら、サッカーボールを抱えなおす。
「じゃ、お先に」
「待てよ、一緒に帰ろうぜ」
鞄に教科書を詰めるのにもたついている斉藤に引き止められた俺は、断る大した理由も思い浮かばずに渋々頷いた。
教室の後方のドアが開いた。同級生の鏑木が入ってきた。この時間に教室に現れるということは、つまり……。
そもそも、宿題を忘れたら恐怖の『武道場ライブ』が待っていることに気付かない生徒などいない。ならば、徹夜の一つや二つを繰り返してでも宿題をやってくるのが普通であって、もしそれでも宿題を忘れたら提出日に欠席することくらい簡単なのだ。平気な顔で『武道場ライブ』に出るのは、決して夜更かしをしない主義の斉藤くらいのものだ。正座を鍛えた方が楽だ、とは斉藤の言い分。既に理解している問題に時間を費やすほど俺は寛容ではない、とも言い加えた。
「鏑木も宿題忘れたのか?」
自分の席に着く鏑木の姿を見ながら小声で俺は斉藤に尋ねた。
「あん、そうだ。このクラスで宿題を提出しなかったのは俺と、鏑木だけだ」
才女で名高い鏑木が宿題を忘れるとは、想像だにしなかった。
「これでおわりっと。さぁ、帰ろうぜ」
斉藤の声に立ち上がった。斉藤と並んで教室を出ようとして、ちらっと教室に振り返った。鏑木は自分の席で帰る支度をしていた。俺は教室のドアで立ち止まった。
「鏑木さん。工藤くんのお通夜には行きますか? 家の位置を知らないでしょう。なんなら案内しようか」
俺は、鏑木に声を掛けた。工藤と鏑木は、教室で見掛ける限りでも親しく話をしていたように思えた。というか、工藤が一方的に話し掛けてくるのに対して鏑木が受け答えしているようだったが。それでも同級生だ、お通夜には行きたいに違いない。
「……行かないわ。さようなら」
俺の顔と抱えているサッカーボールを一瞥すると、鏑木は表情を変えずに教室を出て行った。
俺の予想も当てにならない。隣で待っている斉藤に声を掛けた。
「斉藤?」
「なんだ?」
「工藤の通夜行くか?」
「行かねえよ。あれは、遺された者が自己満足するためにするもんだ」
そう言うと、思ったよ。
*
「なにぃ、オマエ、またサッカーやるん?」
玄関で姉が仁王立ちで俺の遅い帰りを待っていた。通っている大学の近くのアパートに一人暮らししている割に、実家に顔を出す回数が頻繁だ。どうも自分のテリトリーが増えたくらいにしか考えていないらしい。自分に逆らう奴が出てこないように、出る杭を打ちに来ているのだろう。
そんな大学院生である姉の視線は俺の抱えているサッカーボールに吸い寄せられている。やらないよ。そう言うと俺は姉の横をすり抜けて階段を登り自分の部屋を目指した。背中から姉の声が再び掛かった。
「炭酸の抜け切ったコーラみたいな高校生活を送っとるオマエに、エキサイティングな話題を提供してやるがぁ。着替えたらリビングまで来やぁ」
階段を登りきって、振り返った頃には姉の姿はなかった。どうやら、俺の予定は決定しているらしい。非常に疲れている体を休ませるのはもうしばらく後になりそうだ。
「結婚します」
珍しく標準語で発せられた姉の一言を、父も母ももちろん俺も、上手く飲み込むことが出来なかった。
「姉さん、知ってる? 結婚は一人ではできないんだよ。自分がいくらしたいからといって、相手がいないことにはできないんだよ。これは法律で決まっていることだから、いつもの姉さんの横暴な態度でなんとかなると思ったらおおまちが、い!!」
姉の拳骨が頭に落ちてきて、舌をかむ。ようやくショックから立ち直った母が口を開く。
「静江、相手は誰なの? 何が目的なの? お金? 我が家に財産なんてないわよ。 名誉? うちの家柄なんてたいしたもんじゃないわよね、父さん? それともおまえ、脅迫してないだろうねぇ。やめときなよ、うちから犯罪者なんかだしたら外を歩けま……」
「母さんまで! 結婚の理由は一つに決まってるがね。私と文彦さんは愛し合っているんだがぁ」
姉の新たな一言で、父は慌てて腰を上げて顔を突き出す。
「相手は文彦と言うのか。それは……おまえんとこのゼミの教授、安城先生のことじゃないだろうね?」
姉は父の言葉に頷いた。
「教授だがぁ。さっすが父さん、勘が鋭いわぁ」
「何歳だ?」
「私は22歳だがぁ」
「娘の歳くらい知っとるわ。相手の年齢だ、相手の」
「文彦さんは今年で37になるがね」
父と母は顔を見合わせた。
「歳が離れすぎとりゃせんか、母さん」
「でも、この子ですもの、それくらい歳が離れたくらいでちょうどいいかもしれませんよ」
父と母はようやく一息ついて結婚という事態を受け入れた。
「姉さん」
「なんだて?」
「なにがエキサイティングなのさ?」
「結婚はエキサイティングに決まっとるが」
「じゃなくて。高校生活がエキサイティングになるって」
「あぁ。それね。高校生で叔父さんになるなんてエキサイティングだがん」
父と母は聞き漏らさなかった。
「ちょー、あんた、妊娠しとるの!?」
「嫁入り前に、なんてどえりゃことするんだて!」
「しとらんて。見やぁて、このスレンダーボディ。しとるわけないがん」
「じゃ、どういうことだて」
姉の説明に父と母は混乱しきっていた。俺は助け舟を出した。
「つまり、結婚相手には子供がいるんだってことだろ?」
「ビンゴ! オマエ、頭の回転だけは速いがぁ」
「子供がいるのかい。まぁ35で結婚の経験がない方が珍しいけどね」
「まぁ、結婚に幻想を抱かれるよりはマシじゃないか。男の子かい、女の子かい?」
女の子だよ、でら可愛いの、お人形みたいだて、今度、家に連れてきて紹介するから。そう両親に姉は説明している横で、俺は心地良い睡眠にまどろんでいた。
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