創作小説

   亡者と生者の円舞曲

   1.彼は亡くなった 後編

 中間試験も終わり、制服も夏服に衣替えして、工藤が亡くなってから一ヶ月あまり経っていた。ようやくクラスの同級生たちも工藤の死を引きずることもなく、普通の高校生活に立ち直ったかのように思えた。クラスの外側からでは。
 突然のクラスメイトの死は、残されたクラスにヒビをいれた。工藤の死を悼んでいることを口にする生徒と、口にしない生徒の間には目に見えない境界線が引かれた。大多数は前者だ。斉藤などの変わり者を除いて。そして、そのマイノリティに鏑木や俺も含まれていた。
 斉藤や鏑木はもともと孤高の態度を貫いていたし、俺は彼らの鬱憤の捌け口にならないように、ずるく立ち回っていた。一ヶ月は何事もなく過ぎた。しかし、クラスの誰かが口にした一言で、極限まで高められていた緊張の糸は切れた。
「あの工藤が、交通事故で亡くなるはずがない」
「注意深く、慎重で用心深い。皆も、わかるよな? 俺の言ってること」
 数人が頷いた。
「工藤が交通事故で亡くなるはずがない。死因が交通事故だとして、問題はそこじゃない。工藤が交通事故に遭うように仕組まれたんでは」
「工藤君が殺されたって、言うの?」
 か細い女子の声が震えていた。
「そんなの、許せない。工藤君が、かわいそ過ぎる」
 工藤を殺した奴を探せ。
 静かな興奮で教室が満たされた。

 それは狂った願望だ。おもわず、そう叫びたくなったが、俺は口にはしなかった。俺の声が彼らに届くとは思わなかったし、彼らは望んでいたのだ。クラスの英雄が、いや学校の英雄だった工藤を、交通事故というありふれた原因で失いたくないのだ。特別な存在には特別な理由で退場してもらわなければ、気が済まないのだ。彼らは必死になってスケープゴートを探した。
 まず始めに彼らの標的として浮上したのは、斉藤だった。工藤も生前、斉藤とは何度か対立した。それは掃除当番の割り当てだったり、自習時間の取り組み方。数学の解き方にまで及んでいた。しかし、その対立が逆に斉藤を犯人に祭り上げることを難解にしていた。工藤は用心深い、斉藤の前で隙を見せるはずがない。それが彼らの根拠だ。斉藤は、さぐりを入れてくる彼らを相手にしなかった。次に標的にあげられるのは俺に違いなかった。お通夜の場で、俺が工藤の両親と訳ありの話をしていたのは、クラス全員が知っている。今の状況では、それが逆に危険だった。しかし、俺に追求の手が伸びる前に、女子の一言で状況は一変した。
「私、見たの。ゴールデンウィークに工藤君と会ってる鏑木さんを。私、見たの」
 標的は鏑木になった。

「なんで鏑木さん、通夜に来なかったの? 待ってたのに。あなた、工藤君と仲良く話していたでしょ」
「工藤が亡くなったら、興味もなくなったか、計算高いことで」
「ちょっと顔が良いからって、美人ぶって。たいしたことないって、性格の悪さが滲み出てるわよ。工藤君の次は誰を探すつもり?」
「秀才さんは、こんな時でも勉強熱心ですなぁ」

 警察でも探偵でもない彼らが、鏑木を工藤殺しの犯人に仕立てるのに、証拠もアリバイも必要なかった。疑わしければ、それで良かった。鏑木は陰湿ないじめに耐えなければならなかった。
 そこに俺の心に疑問が浮かび上がった。鏑木は決して弱くない。攻撃的な言葉に対抗せずに、ただ耐えるだけなのはいつもの彼女の姿ではない。彼女は、彼らに対して何かしら負い目があるのだろうか。たとえば、本当に……。

   *

 北門に他校の制服を着た美少女が立っている。放課後、そんな噂が学校中を駆け巡った。
 誰を待っているのだろう。幸せな男子生徒は誰なんだ。口々に男子生徒たちが興奮して喋っていた。興味がないといえば嘘になるが、どうせ自分には関わり合いのない話だと思っていたので、野次馬根性から一つ顔を拝んで帰ろうとしていた。
 北門は、はしゃぐ男子生徒たちで混雑していた。チラリと美少女やらを観るつもりだったが人波は苦手だったので、素通りすることに変更し北門を出た。
 背後から俺の名を呼ぶ女の子の声がした。
「待ってください。私のことを見覚えありますか?」
 振り返ると、どこかで見覚えのある女の子が近づいてきた。確かこの制服は、黒川女子の……。その時には思い出していた。
「工藤の妹さんですか」
 女の子は少し間をおいてから、にっこり笑った。
「はい。工藤博之の妹の多佳子です」
「何か、僕に用ですか?」
「ここでは、ちょっと……」
 視線を彼女から北門に移すと大勢の男子生徒が羨ましそうにこちらを眺めていることに気付いた。
「歩きながらで良いですか」
「はい」
 彼女は頷いた。

 学校から充分に離れると多佳子は口を開いた。
「端的に言います。兄の死について、あなたに助けて欲しいんです」
「助けて欲しいとは? よく意味が分からないのですが」
 俺は彼女の方を見ないで正面を向いたまま言葉を返した。
「兄は、本当に殺されたのでしょうか?」
「……警察は、なんて言っているのです」
「…………交通事故に間違いないと」
「だったら交通事故ですよ」
「しかし最近、兄の死に纏わる噂を耳にしました」
 どうやらクラスの連中は、学校の外でも吹聴しているらしい。
「ただの噂ですよ。無責任な噂にすぎません」
「しかし、その噂で……両親は寝込んでしまいました」
 俺は立ち止まって、彼女に顔を向けた。
「どうして?」
「……『工藤さんところの息子さんは、どうやら恨みをかって殺されたらしい』、そんな噂が流れて平生としていられる親が何処にいるんですか」
 多佳子の目から今にも涙が零れ落ちそうだった。
 クラスの奴らも、まさか自分たちが工藤の家族を苦しめているとは思ってもいないだろう。殴り合いの喧嘩になろうと、クラスの連中の目を覚まさせる必要があるかもしれない。
「噂の出所は、分かっています。明日にでも止めさせます」
「そんなことは、もう遅いんです。噂は一人歩きしているんですから」
「じゃぁ、僕にどうしろと?」
「確かめて欲しいんです、兄の死の原因を」
「そんなこと、無理です。僕は警察でも探偵でもない。プロに任せれば良いじゃありませんか」
 クラスの連中と同じレベルまで堕ちるのは、嫌だった。
「兄から聞きました。あなたは他の人にはない閃きがあると」
「買い被りですよ」
「では、去年のクリスマスの件はどうなんですか? あなたが解決したと聞きました」
「なぜ、君がそれを!?」
 それは、姉の大学の噂が絡んだ話で、確かに俺は姉に助言し、それが的中していた。
「ですから、兄から聞いたんです」
 もういちど正面から多佳子を見た。さっきまで泣き顔だったのが嘘のように、人の秘密を握った脅迫者みたいに上の立場から微笑んでいた。彼女の正体を垣間見た気がした。この女、嘘が上手い。
「わかりました。役に立てるか分かりませんが、お手伝いしましょう」
「では、付いて来てくださいますか? 今から現場に向かいますので」
「現場?
「兄が亡くなった場所です」」

「今が、兄が亡くなった時刻です」
 彼女は、手向けられた花に対して拝むと、そう言った。
 どこにでもあるような変哲もない道路だった。街路灯もない交通量の少ない住宅地にある片道一車線の道路で、今まさに目の前を猛スピードで一台の車が横切っていった。
「まだ、こんなに明るいのに、兄が車に轢かれるなんてありえない。そうでしょ?」
 彼女は何故か道路に対してではなく、俺に対して睨みつけていた。
 確かに夕暮れ時とはいえ、西の空にかろうじて浮かぶ太陽が確認できた。
「工藤は、どのようにして事故に遭ったのですか」
「加害者の話では、兄はあちらの通りから、こちらの通りに向かって道を横切ろうとしたそうです。それをこちらの車線で車が……」
 言葉を詰まらせた多佳子から視線を外し、少し考えた。
 横断歩道は、近くにない。ならば横切ることを決断するのに時間はかからないだろう。工藤の行動は自然に思える。
 では自動車側は、どうだろう。南から北に横切ろうとした工藤を西から車で轢いてしまった。少し不自然だ。
 たとえば工藤が反対にこちら側から飛び出したのであれば、まだ理解できる。しかし工藤はあちら側から飛び出している。
 ドライバーも、まだ反対車線側を横切っている工藤の存在に気付くはずだ。
 もしくは車が、東から西に向かっていれば、西日が眩しくて工藤の存在を見落とした。そういうことも考えられる。
 しかし現実には、工藤は南から北に飛び出し、車は西から東に向かって走っていた。これで本当に交通事故が起こるだろうか。
 額に浮かんできた汗をぬぐった。まだ六月だというのに、暑い。夏服でもそう感じるのだから、交通事故に遭った冬服の工藤は、もっと暑さを感じて、亡くなっていったんだろう。いや、待てよ。事故はゴールデンウィーク中だったから、制服は着ていないか。そもそもその前に、工藤が亡くなった一ヶ月前は、こんなに暑くない。この時間、こんなに日も高くないし……。
 ようやく、俺は気付いた。
「工藤多佳子さん。いや、タダの多佳子さん。僕を試しましたね?」
 下を向いていた多佳子が顔を上げて、挑戦的な表情で俺を見返してきた。
「ええ、そしてあなたは、それを見破った」
「工藤が亡くなった時は、こんなに明るくなかった。もっと暗かったのでしょう。薄暗い、そう表現できるくらいの明るさだ。道路を横切る工藤にドライバーが気付かないくらい。そして工藤は自動車が自分を認めてスピードを落としてくれることを期待するくらいの明るさはあった」
 多佳子は口を挟まず、俺に話を続けさせた。
「強い光は、周囲に濃い闇を落とす。それを知っていますね。ヘッドライトを照らした自動車は、光の届く範囲をはっきりと可視できるようになるが、それ以外は闇に包まれてしまう。彼は純粋に、交通事故で亡くなった」
「……、私も警察の説明を聞くまでは納得できませんでした。博之さんは、そんなに愚かではないと思っていたので。そうそう、私が博之さんの妹でないことに、いつ気付きました?」
「君がクリスマスの話を出した時です。私はその話を誰にも喋ったりはしていない。それでも君がそれを知っているというのならば、君は姉経由で知っていたことになる。工藤の妹が姉経由で話を知る立場にない事を、俺も君も知っていた。つまり君が『兄から聞いた』というそんな嘘をつく理由は、君が工藤の妹ではないからだ」
「……正解よ。私は今年の春まで、あなたの姉、静江さんに家庭教師として勉強を見てもらってました。その時に、あなたのことを聞いたのです。あなたが勝手に勘違いしている様だったので、それについ乗っかってしまっただけのことです。本当ならば、正しい素性をお話して頼もうと思っていたんですよ。将来を嘱望された未来のJリーガ……」
「だまれ!」
 つい声を荒げた。女の子相手にみっともないと思い直し、深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。
「 ……もう過去の話だ」
 多佳子は頷いた。
「わたしもそんな話をする為に、あなたを試したのではありません」
「では、何の為だ? いや、いい。もうたくさんだ。消えてくれ」
「博之さんの本当の妹である真由子が、今も寝込んでいるんです。兄の秘密を知ってしまった為に」
 もう話を聞くまいとしていたが、つい聞き返した。
「どういうことだ」
「博之さんの日記を読んだのです」
 多佳子は鞄から一枚のA4サイズのプリント用紙を取り出した。
「一部分、コピーしました。これを読めば、異常さがあなたにも分かるでしょう」
 俺は多佳子から渋々、プリント用紙を受け取った。
 プリント用紙には、こう書かれていた。

  僕にできるだろうか?
  いや、彼女を助けることができるのは、僕だけだ。
  決断力と行動力。この二つがあれば決してできないことはない。
  僕は、必ず彼女を生き返らせてみせる。
  僕は、彼女を愛しているのだから。

 なんだ、この文章は。『彼女を生き返らせてみせる』?
 工藤は普通の高校生活を楽しんでいたのではなかったのか。
 オカルトや超常現象に嵌るような、嫌なことから目を逸らす現実逃避しているような傷つきやすい繊細な性格ではなかったはずだ
「そして、あなたは私の試験を合格しました。あなたには博之さんの生前の行動を私と一緒に調べてもらうわ」
「やだね、僕は君が嫌いだ」
「残念ね。でも、また近いうちに会うことになると思うわ」
 多佳子は、未来を見通したかのような笑みを残して去っていった。

 帰り道は自分も彼女と同じ方向だったが、進む気になれず踵を返した。返し損ねたプリント用紙を自分の鞄にしまった。そして視線をあげると道路の先に、片手に献花を持っている女の子が見えた。彼女もこちらに気付いたのか、視線があうと翻って逃げだした。あれはうちの高校の制服だ。確かに間違いない、あれは鏑木だった。

   *

 その夜、姉が結婚相手を家に連れてきた。
「みんな、来やぁー。文彦さんと娘を、連れてきたがぁ」
 玄関からの姉の呼び声で、リビングでくつろいでいた父と母が駆け足で向かった。俺ものんびりとではあるが階段を降りて、玄関に向かった。姉の結婚相手に対して礼を欠いて破談になっては、せっかくの姉を厄介払いにするチャンスを無駄にしてしまう。好印象を与えるべきであった。
 あらぁ、大きな娘だねぇ。母の背中が震えた。可愛らしいじゃないか。血は繋がってなくても初孫は可愛いらしい父の声が弾んだ。
「あんたも来やぁ。紹介したるがぁ。こっちが弟の貴明。で、こっちが文彦さん」
 姉の紹介にあわせて、姉の横に立っている男性に頭を下げた。一日中書斎に閉じこもっているような青白い顔をしていたが、応じる笑顔は逞しかった。姉と上手くやっていけそうな雰囲気を持った男性だった。
「そして、この娘が文彦さんの……」
 姉の背中に隠れていた女の子が顔を出した。想像していたより大きい。そして見知った顔が、そこにはあった。
「はじめまして、貴明叔父さん。多佳子といいます。よろしくね」
 声を出さずに驚いている俺に、姉は歯を見せて笑った。
「ほらみぃ、エキサイティングだがね」


To be continued

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