創作小説
黒鴉将軍コルヴィヌス外伝 盗賊と紋章
1.
昼下がり、のちに黒鴉将軍コルヴィヌスと呼ばれる事になる青年、エルネストは軽装で森林の奥深くに、犬を傍らにして大木の根元で寝そべっていた。
エルネストの横で蹲る犬も、時折大きく欠伸をすると、再び体を丸めて浅い眠りを得ようとする。
二年前、タリムーラ公国の姫君クレールはメデナ山脈の公国領で行き倒れの青年を救った。青年がやがて健康になると、クレールは「神の善意なる報酬」を救われた青年に要求した。
「神の善意なる報酬」とはアスジーナ神話にあるように、羊飼いが見失った十頭の羊を探してあげる代わりに、その一頭を我に捧げよと告げた牧神ヴァンとの契約のことを指す。そこから転じて、損失を被らずに済んだ人がその価値の一割を、恩人に対して差し出す御礼のことを指すようになった。
つまりクレールは青年の命を救ったのだから、その一割の人生をクレールに捧げろと要求したのである。
青年は快諾し、八年を捧げる約束をした。
その時代、人は長くても八十年は生きてはいられなかった。青年は最大の感謝を込めて、クレールの申し出を受けた事になる。
その青年こそが、エルネストである。
エルネストは公国の姫君クレールの愛犬キケロの世話役という肩書きを持っていた。が、実質上クレールの教育係としても認識されていた。国王直々の勅令である。誰もこの得体の知れない若者に眉をひそめながらも何もいえなかった。
しかし、それは公国宮殿でのこと。公国は西の端、カルナ山脈の麓にあり、フォンサリス連合国との交易が盛んであるアイメダを山脈に向かって進んだ僻地に、避暑の目的で訪れたコルヴィヌスは充実した休暇を楽しんでいた。
空を覆うようなほど幹を伸ばし枝を拡げた樹木の間から、ちらちらと日の光がこぼれる。
エルネストは暇を持て余すような性格の持ち主ではないが、公国宮殿のあるタリムーラ公国の首都クンーラに比べ、このような自然が人を飲み込もうとしているような辺境の地では刺激が足りないのは確かで、この地に訪れてから続く単調な毎日に辟易していたのも事実であった。
「エルネスト! またこのような場所で昼寝などしおって。わらわのキケロが真似をしておるではないか。この怠け者が」
エルネストがうつらうつらしている間に近付いて来たのであろう、可愛らしい顔立ちをした少女が頬を膨らませてエルネストの頭の横に立っていた。まるで、やんちゃな弟を叱る町娘のお姉さんといった表情だ。しかしその服装を見れば、町娘どころではないのが窺い知れる。高級な素材をふんだんに使って、複雑かつ優雅な意匠をあしらったサーコートをチェニックの上に着込んでいる。
誰あろう彼女こそが、公国のクレール姫である。
しかし、エルネストは寝足りなさそうなまぶたを擦りながら半身を起こすと、馴れ馴れしい口を開いた。
「キケロがものぐさなのは、俺が世話役になってからずーっとです。おそらく犬としての勤勉さなど持ち合わせがないのでしょうよ」
他人前だとクレールに向かって恭しく言葉を使うエルネストだが、二人だけの時は敬語も使わず態度も大きい。
「わらわの愛犬を侮辱するな。おぬしが世話係としての職務を全うしていないだけじゃ。そんなことではいつまでたっても、愚か者のままじゃ」
「姫、俺はキケロの命の恩人ですよ、恩人。キケロの恩人を愚者扱いしては、キケロの立場がないでしょう」
「ふん。キケロは確かにおぬしに救われたようじゃが、おぬしを救ってやったのはわらわじゃ。だから命の恩人はわらわの方じゃ」
「そういえば、命を捧げた約束しましたね。あと六年か。タダ働きなのだから恩着せがましくおっしゃるな」
「おぬしの言い方が、かわいくないのじゃ」
顔を紅潮させて、クレールは怒鳴る。
「大きい男が可愛く見えるのならば、そっちの方が異常です。そういえば、キケロはいつのまにかお酒を覚えたようでね、この前など床に零れた赤ワインを最後の一滴まで嘗め回してましたよ」
「おぬし、犬に酒を飲ますとはどういうことじゃ!」
「勝手に飲むんですよ。ミルクとワインを混ぜてやると実に喜んで嘗めるんですよ、これが」
「飲ませておるではないか!」
「ご主人様と同様に不良なんです。な、キケロ」
クレールの怒鳴り声を気にせずに、キケロに話し掛けるエルネスト。それを見て、クレールは眉をひそめる。
「おぬし、何が言いたいのじゃ」
「最近、俺の所蔵するワインが減ってるんですよ。誰かさんが俺の個室に訪れる度に」
「わ、わらわを疑っておるのか? わらわは未だ酒を嗜んだ事はない。まだ成人前じゃからな。父上から禁止されておるのじゃ」
両手を広げて大袈裟な動作で、エルネストは嘆いて見せた。
「赤ワインが三本、白ワインが二本、喪失しているんですよ」
「わらわはまだ、白ワインは一本しか盗ってはおら……」
クレールは慌てて口をつぐんだが、エルネストの罠に見事に引っ掛かった。
「さてさて酒が飲めなくなるという珍しい薬を行商人から手に入れてはみたのは良いが、犬に効くかな?」
エルネストは腰元の袋から怪しげな小瓶を取り出して、クレールの前で振って見せた。
「わらわのキケロを殺したら、例えおぬしでも極刑を覚悟せよ。そのような薬、捨ててしまえ」
「誰かに飲ませれば、それこそ良い薬になるような気がするんですが」
再び、エルネストは小瓶を元にあった場所に戻す。
「気のせいじゃ」
これ以上その話題について議論するつもりはないと、クレールは大きく鼻を鳴らした。
「このような事をしに来たのではない。エルネスト、ここら辺を荒らしまわる盗賊の話を聞いたか?」
エルネストは首を横に振る。アイメダに避暑に訪れて以来、姫君のご機嫌伺いと称する者達が頻繁に、クレールのもとに通ってくる。それをいちいち相手にしていては、避暑の意味が激減する。元々、エルネストは自らの身分の低さを分かっているので、困窮しているクレールを放っておいて、キケロと共に、豊かな自然を充分すぎるほど満喫していた。ゆえに、この地の者とあまり話す機会を得てはいなかった。
「盗賊くらい何処にでもいるでしょう。姫が乗り出すほどのことでもないと思いますが」
「その盗賊が掲げている旗に、黒い大鷲が描かれていたとしてもか?」
エルネストは、目つきを鋭くした。この男、真剣な顔つきになると一介の犬の世話役とは思えないほど鋭い目つきになる。
「カルディーナ王家の紋章」
エルネストは一人呟いた。
目の前の男の反応が自分の思った通りだったので、クレールは満足げな表情を浮かべる。
「詳しく聞きたいか?」
クレールの申し出に、エルネストは深く頷いた。
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