京都、暑い夏と独り旅

2005 Mon Aug 22 その三、自分を取り戻し、神様を見失う

 京都に出掛ける前の心構えとして一冊だけ読んできた本がある。
 小松和彦『京都魔界案内』がそれだ。その本に、目の前の神社が載っていたのをおぼろげながら覚えていた。
 たしか、これが『天使の宮』だ。詳細な由来は省くとして、小さい神を奉っている神社である。前出の『天使付抜通』は、この神社が由来のはずである。わざわざ『小さい』神と断りが入っているので、産鉄民との関わり合いがあると思って、神社の由来が知りたかったが、当の五条天神宮は、流行りの『義経』関連で売ろうとしているのがミエミエであったので、無造作に置かれていた無料のパンフレットには義経と弁慶の出会いの経緯しか書かれていなかった。隣には五百円の義経ハンドタオルが置いてあったが、当然買う気もなくスルー。
 肩透かしを喰らった感があったが、すくなくとも現在地を把握できたのがなによりだった。
 それで、調べてみると、そもそも出発点が思っていた所よりかなり南だったらしく、第一目的地の住吉神社は、まだまだ北西であることが判明した。
 とりあえず『五条天神社』を少しだけ北上し、松原通を西に向かう。
 松原通は『義経と弁慶の出会いの場』としての垂れ幕をこれでもかというほど、吊っていた。
 わたしも小学生の頃、修学旅行で当時の五条大橋が現在の五条大橋とは違う場所であるとバスガイドさんから聞いていた。
 つまり現在の松原通が昔の五条通である。
 そんなことより暑い。暑かった。アイスクリームの誘惑、カキ氷の誘惑を振り切って、イオンサプライ飲料水をゴクゴクと飲む。全てが汗となって蒸発していく。
 これでもか、これでもかとただの路地裏を進む。大通りに出る直前で北上。おそらくこれが醒ヶ井通。
 しばらくすると、とても朽ちかけた感のある木製の囲いが見えた。
 住吉神社である。
 さきほどの神社に比べても貧相、貧弱、手入れの行き届いていない神社である。
 それなのに何故、ココを目指したのかといえば、目的は本社の住吉神社ではない。末社の柿本人麻呂を祭った神社が目当てである。
 柿本人麻呂。それは歌聖。和歌に秀でた天才である。
 わたしも少しは文を書く身。少し拝んでおいて損はあるまい。
 しかし和歌と小説では少しジャンルが違う気もするし、どちらかというと歌手の人のほうが拝んでご利益があるような気もする。
 とまぁ、せっかく来たんだし、と住吉神社に足を踏み入れた。
 狭い。とりあえず、わざわざ、こんな神社に来る人は、目的は参拝ではなく、賽銭泥棒に間違われることだろうと思った。

 で、どれ?

 普通、神社には由緒書きが立っているものだが、そんな洒落た物など存在しなかった。  正直、こんな狭い敷地に神がいるとは思えない。社は三つ。北に一。中央に一。南に一。 北の社の鳥居は赤い。これは稲荷だ。南の社は普通。「人丸神社」と掲げてある。身震いがした。人丸。わたしが連想するのは、人から頭手足を切り離した胴体だけの存在。つまり処刑的な何かをイメージさせた。いや、住吉神社といえば海の神だから、もしかするとおなかにガスが溜まって膨らんだ溺死体の鎮魂用かもしれない。  中央は本社らしく、それなりにでかい。賽銭箱横には新聞の切抜きが貼られている。細かくてよく読めないが、「柿本人麻呂」「復興」「本社と対になって」くらいが人麻呂を奉った神社の手掛りになりそうだった。たしかに人麻呂と関連した神社であることは確かなのだ。でも結局、良く分からない。

 わたしは途方にくれた。

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