<0>

 十月末日。
 工藤智(くどう さとし)が所属する剣道部も今日は早々と終了となった。
 理由は、ハロウィンだからである。
 高校生である工藤たちがハロウィンのイベントに参加するのではない。
 いたずら好きな子供たちから自分の身を守るためである。
 お菓子など持ち歩いてなど居ない下校途中の高校生に向かって、繰り出される容赦ないイタズラの数々に辟易した高校生たちは二度と同じ不幸に遭わないように自衛の手段として早々と家路に着くことを選んだ。

 しかし工藤自身は、剣道部顧問教師との話し合いもあり遅くなって日が暮れてからの下校となった。
 近所の子供会が催しているイベントの時間と重なってしまった。
 子供たちにも人を見る目があるのか、悪魔や魔女に仮装してすれ違う子供たちは誰一人として工藤にイタズラを仕掛けるものはいなかったので、工藤は安心してゆっくりAGの家に向かうことが出来た。

 住宅街の家々の戸口に『ジャック・オーランタン』と呼ばれる目や口の形にくりぬいたカボチャの中に蝋燭を灯したモノが置かれていた。
 これは子供たちに対しての目印である。戸口に『ジャック・オーランタン』を置いてある家ではお菓子などを用意していますよ、という合図なのだ。子供たちはこれを目印に各家に突撃を繰り返すという企画である。
 数年前から地元こども会が企画しているイベントだった。年々参加する家は増えて、町中が少し浮かれている様子を見せていた。
 そんな華やかなお祭り気分の雰囲気に似付かない、何かが粉々に砕け散った高音と低音が混じり合った破壊音が辺りに響いた。

<1>

「トリック・オア・トリート!」
 色とりどりの悪魔に扮する少年たちが歓声にも似た掛け声をあげ、一軒の家の扉を叩いた。
 顔を出したのは、「待ってました」といわんばかりの笑顔でご婦人が、少年たちにお菓子をくれる。
 少年たちは大声で「ありがとうございました」と挨拶をして一軒の家から駆けて去っていく。
 今日に限っては町中で見られる極普通の光景だった。

「あっ! この家にもあるぞ、かぼちゃ頭」
 一人の少年が気付く。
「……でも、この家、ケチで有名だぞ。『町内かいひ』も払わないってママが言ってたもん」
「カボチャがあるんだから、大丈夫だって」
「そうそう。少しでも多く貰わないと、2組の奴らと競争してるの忘れるなよ」
「とりあえず、押すだけでも押そうぜ」
 少年たちは一軒の家のインターホンを押した。
「……はい」
 聞こえてきた女性の声に対して、少年たちは大声で答えた。
「トリック・オア・トリート!」
「…………うちは、やってないわよっ!! 他の家に行きなさい! 図々しい!」
 少年たちが一言も発することが出来ないままインターホンは切れた。
「……ちっ! なんだよババア! だったらカボチャ置くなってーの」
「やっぱりケチじゃん!!」
「紛らわしいなぁ、JAROに電話だ、JAROに」
 少年たちは口々に罵りながら、その場を離れようとした。
「あ、そうだ。ちゃんと悪戯しておかなくちゃ」
「そうだな、んじゃ、オマエ頼むな」
「おう、頼む、頼む。オレら先行ってるから、ちゃんと悪戯しておけよ」
「舐められないように、たのんだぞ。バーイ」
 複数の少年たちが去り、一番小さな子供だけがその場に取り残された。おそらく先に去った少年たちの弟かなにかだろう。
 取り残された少年は、その場をウロウロしながら迷った振りをしていた。しかし少しして意を決したのか、地面に落ちていた小石を拾い、断られた家に向かって、石を投げた。
 少年が想像した以上の破壊音が辺りに響いた。

 工藤智がAGの家に向かう途中、子供の押し殺すような泣き声と女の金切り声が通りの先から響いてきた。少し視線を上げると尻尾と尖がった角をつけた緑色のタイツに身を包んでいた子供の肩を女性が揺さぶっていた。
「弁償させるからね! お家は何処なの! 泣いてないで言いなさい!!」
「ぼぐじゃなーい、ぼぐじゃないもん、ぼぐやっでない」
 と言葉に出して、子供はそれっきり泣き続けていた。

「……さん、相手は子供じゃないですか。大人気ない」
 工藤以外にも当然、音を聞いた近くの住人がいるようで、数人の女性が路地に出てきていた。
「新車なのよ、新車。フロントガラスをめちゃくちゃにされて我慢ができますか」
 女性の訴えている通り、粉々にフロントガラスが砕け散った車が車庫にあるのを工藤は確認して、怒るのも無理ないかなと思った。
「でも今日はハロウィンだしね」
 路地に出てきていた女性のうちの一人が言う。
「そうそう、お菓子渡さなかったんでしょ」
 他の女性も付け加えた。
「それにしても酷すぎるとは思うけど、子供のやったことだし、できるだけ穏便に済ませた方が良いんじゃない」
「お祭りじゃないですか」
「あなたたちは参加してても、あたしん家は参加してないのよ」
 被害の女性は声を上げて反論する。
「でも、カボチャ置いてるじゃないですか」
「あ、ほんとだ」
「これじゃ、こどもが悪戯しても仕方ないですよね」
 次々と他の女性たちに言い返される女性は自分の家の塀の上にカボチャが乗っていることに気付いて近寄り、カボチャを地面に叩き落す。
「こんなモノ、あたしが置いたんじゃないわよ! 誰かの悪戯よ。いい迷惑だよ、まったく」
「この子だって被害者だよ。そうとは知らず、あんたん家のドアを叩いたんだから」
「そうそう、許して上げなよ。大人気ない」
 周りの女性たちの言葉に、被害の女性も子供を一瞥して
「保険でなんとかするよ、まったく。これだからガキは嫌いなんだ。もう帰れ! 二度と来るんじゃないよ!」
 子供は、相変わらず嗚咽を交えながらも「ぼくじゃない」と泣きながら去っていった。

 工藤はそこまで見届けると、AGの家に向けて再び歩を進めた。

<2>

 AGの住む古ぼけた洋館の門構えの付近にはカボチャは置いてなかった。
 工藤は呼び鈴を押した。

 玄関ホールに招き入れてくれた執事の山崎は、何処か落胆していた。
「どうかされましたか?」
 工藤が尋ねても、笑顔で否定された。
「どうぞ、ごゆっくりくださいませ。あとで茶菓子をお持ちいたしますゆえ」
 山崎はAGの部屋の前で一礼して下がった。

『こんばんは、サトシ。なにか楽しいことでも報告してくれるのかな。それとも、い、いや、なんでもない。座ってくれ』
 AGは椅子に座っていて、背後の壁一面に広がる大型スクリーンに文章が流れる。今日のAGはベネチアンマスクを被り顔上半分を隠して口元だけ露わにしていた。
 AGは、声を発しない。代わりにキーボードで言葉をタイプするのだ。
 しかし、その文章に迷いが表れることなど滅多にない。山崎の態度も変だったが、AGも同様だった。
「……ん、別に楽しいことではないのだけれど、嫌な出来事ならあったよ」
 さきほどの近所のトラブルを工藤は、AGに説明していた。

 説明が終わる頃、山崎が部屋のドアを控えめにノックし、飲み物と菓子を持ってきてくれた。
 飴やクッキーなどの詰め合わせだった。

 AGは工藤の話を聴き終えると、いつもとは違ってすぐにキーボードに指を走らせなかった。椅子に座ったままキャスターを滑らせ、窓際に寄せる。外の景色をぼんやりと見下ろしている。
 工藤はあえて何も言わず、お茶を飲み、茶菓子に手を伸ばした。
 そして少し不安を感じた。
 いつもなら、手作りのケーキや老舗の和菓子が用意されるのにどうしたのか、もしかして歓迎されなくなったのかと。
 先ほどの山崎の態度も工藤の不安を助長していた。

 AGがようやく窓際から離れ、キャスターを滑らせテーブルに戻る。お茶で口を潤すと一言、言葉をスクリーンに映した。

『なるほど。もしかすると、嫉妬が高じた末の犯行かもしれないな』

「いつものように説明願えるかな?」
 工藤はAGに尋ねる。
『あくまで、想像でしかない。それでも良いなら』
 工藤は頷く。
『それならば。簡単なことだよ。犯人は真向かいの主婦だろうね』
「どうして? その女性は、子供を庇っていたよ。子供に罪を被せようとしていたとは、思えない態度だったけど」
『無罪を主張するのと、情状酌量を求めるのは雲泥の差だよ、サトシ。その主婦は、子供のやったことだから許せと主張していたんだ。つまり子供が車のフロントガラスを割ったと認めているんだよ』
 確かにそうだ、と工藤は思い出す。
『なによりも、カボチャだ。カボチャの存在だよ。そこから想像するしかないのだが、一つ続けてみようか』
『被害者の女性は、カボチャを置いていないと主張している。ならば、そのカボチャは誰かに置かれたことになる。それ自体が今日の子供たちのイタズラとも考えられるかもしれないが、今日のハロウィンイベントの前提条件が』
 工藤がスクリーンに被せて言う。
「戸口に『ジャック・オーランタン』を置いてある家だけが、ハロウィンに参加している」
 AGは頷いて、続けてタイプする。
『そう。その前提を崩しては町内全体が迷惑する。そこだけはイタズラしないだろう。むしろ考えもしないと思う』
「つまり」
『子供の無邪気なイタズラではない。悪意を持った大人の仕業だ。では何故、カボチャを置いた? 少し想像力を働かせてみれば分かる。お化けに扮した子供たちが家に襲来する。しかし家人は素っ気無くあしらう。お菓子をもらえなかった子供たちがイタズラをする。まさに現実に起きたとおりだ』
「ならば、やっぱり子供の犯行も否定できないじゃないか」
『もちろんそうだが、しかしここは、カボチャを置いた者の思考を辿って考えてみよう。この者が考えたとおり物事が進んでいっても、予想できないことがある。それは、子供がどういったイタズラをするか、だ』
「確かに、子供の考えることまでは分かるまい」
『そこで、二つの方法が考えられる。一つは子供のイタズラを誘導する。例えば近くに水鉄砲が捨ててあればそれを使ってイタズラしようとするかもしれない。しかしこの方法は、確実性がない。だから、もう一つの方法をとったと思う』
「もう一つの方法とは?」
『もう一つは、子供のイタズラに紛れて自分が行動する。子供が石を投げる素振りをみせれば、』
「自分も同時に石を投げる。……だから真向かいの家なのか」
『そうだ。もちろん、この方法を取るためには常に監視していなければならない。真向かいの家が最適な場所であることは間違いないだろう』
「……なるほど、確かにその方法ならば、犯行が可能だろう。でも動機がないじゃないか」
『あるだろう。だから言っただろう嫉妬さ。サトシ、考えてみろよ。子供のイタズラというカモフラージュさえ剥がせば、簡単な動機が見えてくるだろう?』
「真向かいの主婦が、被害者の車のフロントガラスを割った」
『そう。その新車のフロントガラスを割った。動機は?』
「…………羨ましかったから?」
『そうだ。だから言ったろう? 嫉妬だと。近所に住んでいるということは、乱暴にいえば生活水準がほど同じだと言うことだ。そこで突出した出費をした家庭が、その品物をこれ見よがしに置いていたとしたら、どう思う? その家の人と話すたびに誇らしげに自慢されたら、どう思う?』
 工藤は首を横に振る。
「……俺は、どうも思わない。いや、少し嫌な気分がするかもしれないが、車を傷つけようとまで思わない」
『その主婦だって、思っていなかったかもしれない。しかし今日と言うチャンスを得て、箍が外れてしまったんだ。今日ならばイタズラする子供に罪を被せられる。今日ならば被害者の家側にも『お菓子をあげなかった』という落ち度を持たせることができ、周りの人にも同情されないだろうと考え付いた。ただ、それだけなんだ』
 工藤は下を向いて、搾り出すように声を出した。
「……僕は嫌いだ。そういう感情をむき出すにする人が。なぜ、感情で動く。なぜ、理性を働かせない。なぜ、もう少し」
 AGが強くキーボートに腕を叩き落した。工藤はハッと顔を上げる。
『違うんだよ。違うんだ、サトシ。妬みこそが、人間らしい感情なんだ。鳥は、決して海を泳ぐ魚を羨まない。魚は、決して速く走る馬を妬まない。人間こそが、人間だけが空を飛ぶ鳥を羨み、海を泳ぐ魚の能力を求め、速く走る馬を超えようとする。人間だけが、人間だけの、人間らしい感情で』
 AGのキーボードを叩き続けていた音が止まった。
「……AG」
『今日は、帰ってくれないか』
 工藤は椅子から立ち上がってAGに寄ろうとするが、それに気付いたAGは続けてタイプした。
『帰ってくれ』
 何もいわず、工藤は部屋を出た。

<3>

 工藤は、初めてAGと話した時に聞いていたことを思い出した。AGが子供の頃、火事に遭って両親を亡くし、自分も全身に火傷を負い、その為、声も出せず、歩くことも叶わず、火傷の痕を隠すために仮面を被っていることを。
 工藤は既に後悔していた。少し考えればわかることだ。AGが嫉妬の感情を持て余して日々過ごしていることを。
 
 工藤が玄関ホールにたどり着くと、山崎が立っていた。
「もう、お帰りですかな。ゆっくりしていっても構いませんのに」
「はぁ。AGに『帰れ』と言われましてね」
 山崎が目を見開いて驚いたが、すぐに笑顔に戻した。
「今日は、機嫌が悪いのでしょうなぁ。こりずにまた来て下さい」
「AGが許してくれるでしょうか?」
「もちろんですとも。喧嘩くらい誰だってしますし、仲直りだって誰だってします」
 山崎の屈託のない笑顔に工藤は励まされた。
 そう、過ちは償うことが出来る。工藤は心に誓った。
「……それにしても、残念ですな。せっかくご用意いたしましたのに」
「何が、です?」
 山崎の落胆振りに工藤は尋ねた。
「あ、実はですな。今年からハロウィンに参加しているんですが、子供たちがまったく来てくれないんですな。もう、この時間で来てないということは、もうムリですかな」
 息を大きく吐いて山崎は落ち込んでいた。
 工藤は茶菓子が飴やクッキーであった理由を悟り、そして、あることを思い出した。
「あれ!? でもこの家、表にカボチャ置いてなかったですよ」
 工藤のセリフに、山崎が慌てて扉を開けて外を確認する。
「あぁ、だからですか。誰かが持っていっちゃったんですな。来年は持っていかれないように、もう少し大きくて重いカボチャを注文しなければいけませんな」
 山崎は乾いた笑い声をあげた。
 そこでようやく工藤も気付いた。被害者の宅に置かれたカボチャの本来の持ち主が誰であるかを。
 AGの館のカボチャだったのだ。確かにAGは窓際に寄って、外の様子を見ていた。あれは、自分の門に置かれているはずのカボチャの存在を確認していたのだ。

 館を出る工藤に、山崎は残った全てのお菓子を渡そうとしたが、工藤は少ししか受け取ろうとしなかった。
「まだ子供たちが来ないとは限りませんから」
 工藤はそう言って、山崎に挨拶をして館を去った。

 すっかり静かになった町内を工藤が歩いていると、正面から虎と猫の着ぐるみをした幼い兄弟が、空の巾着袋を手に持ちトコトコと歩いてくる。
「おまえがダダこねてるから遅くなっちゃったじゃんか」
「僕のせいじゃないもん。虎が良いんだもん。猫じゃ弱いもん」
「ママだって忙しいなかで頑張ってくれたんだぞ。サイズ直すのに時間掛かっちゃったじゃないか」
「やだ。猫じゃ弱いもん」
「お菓子がもらえなかったら、しょうがないだろ。ほら見ろ。何処にもカボチャがないじゃん」
 確かに工藤があたりを見渡しても、もはやジャック・オーランタンを置いている家庭はなかった。おそらく用意したお菓子を全て渡しつくしたのだろう。これでは目の前の兄弟は
 工藤は、いいことを思いついた。
「キミたち、まだお菓子もらえてないのかな」
 幼い兄弟は、声を掛けてきた工藤に驚きながら、猫の着ぐるみをした兄がおそるおそる頷いた。
「だったら、あの館を訪ねてごらん。お菓子をいっぱいくれるよ」
 兄が工藤の指差す方向を確認した。
「でもカボチャが置いてないよ」
 工藤は学ランのポケットから先ほど貰ったお菓子を幼い兄弟に見せた。
「ほら。僕だってこれだけ貰ったんだ。キミたちだって貰える筈さ」
 工藤が微笑んで言うと、兄の背に隠れていた弟が口を開いた。
「行ってみようよ、お兄ちゃん」
 その弟の言葉に兄は頷いた。
「ちゃんと掛け声は忘れないようにね」
 AGの館に向かう幼い兄弟を、工藤はその場で見送った。自分も着いていきたいが、それではAGも興ざめしてしまうだろう。せめてこの場で見守ろうと思った。
 そう、AGはおそらく楽しみにしていたはずなのだ。このハロウィンというイベントを。なぜなら、今日ならば仮面をしているAGを誰も不審に思わないだろうから。一年で一度、仮面は外さないAGが堂々と他人と接するチャンスなのだ。

 『トリック・オア・トリート』の二人分の掛け声が辺りにも響くと、兄弟は館に入っていった。
 しばらくして、幼い兄弟が巾着袋一杯にお菓子を詰め込んで笑顔で出てくる姿を確認すると、工藤は家路に着いた。

< 了 >

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